わたしと真田の関係は、ひどく曖昧で中途半端だと思う。
あれだけの事をした以上、友達とは言わせない・・・つもりだ。
でも好きと言った事はないし、真田もはっきりと言ってくれた事がない。
たまに、あの日の事は幻だったんじゃないかと思う事がある。
真田はわたしの事を甘い吐息で「」と呼んでくれたし、わたし自身も真田の事を精一杯愛しいと思いながら「弦一郎」と呼んだはずなのに。
「おはよう、」
「・・・おはよう、真田」
次の日には呼び方は元の通りに戻っていた。
結局あの日は、真田が柳生くんと喋っている間にチャイムが鳴ってしまって、わたしは真田を置いて教室に戻る羽目になってしまった。
やっぱりと言うべきか、流石と言うべきか。真田は次の日にはあっけらかんと元気な様子で学校に来た。
そしてわたしを「」と呼んだ。
あの時のショックは忘れられないし、未だにそう呼ばれるたびに心が痛む。
「浮かない顔をしているな」
真田のせいなのに。
さもどうでも良さそうに、真田は鞄の中の教科書を机の中に移しながら言った。
「そうでもないよ」
「そうか」
・・・真田の、バカ。
やっぱりあの時、真田は熱で頭がどうかしてただけなんだ。
わたしだけ浮かれてバカみたい。
どんどん悲しくなってきて、涙目になり始めた瞬間。
悔しさを押し殺すように膝の上で握り締めていたわたしの手を、真田の熱くて大きな手が包み込んだ。
驚いて見上げると、真田は前を向いたまま。こっちを見ようともしない。
「放課後、一緒に帰らないか」
「え・・・?」
「帰ろう」
真田はそれだけ言うと、素早く手を離してしまった。
握られていた右手だけがいやに熱い。心臓がバクバクとうるさい。
放課後の事が気になって気になって。
今日は全く授業の内容が頭に入らなかった。
真田は部活だろうし、玄関で待っていようか、それとも部活を見に行ってみようか?
色々考えながら、とりあえず玄関に来てみると、真田が靴箱に背中を預けて立っていた。
「真田!?」
「遅かったではないか」
部活はどうしたの!
驚くわたしを見て意地悪そうに笑みながら、真田は近付いて来る。
どうもわたしは真田の背の高さが苦手だ。目前に阻まれるとドキドキしてしまう。
「今日は部活が休みでな」
「そうだったの」
「行くぞ」
真田は不自然に、わたしの前をゆっくりと歩いていった。
普段は歩くのが速いんだろう。たまに少し速くなっては、気付いたように遅くなる。
変なリズムで歩いている真田の後ろを、たまに小走りで追いかけた。
と、小走りで追いかけている途中に真田が急に立ち止まった。そのせいで、わたしは真田の背中に顔と体を打った。
「痛!」
「すまん。手を繋ぐか?」
「え?」
真田は、わたしの返事を聞かずにわたしの手を力強くギュッと握り締めた。
そして振り返る。真っ直ぐと射抜くような視線。
時が止まったんじゃないかと思ったけれど、真田の唇がハッキリと動く。
「繋ごう」
「・・・うん」
嫌がるはずもないのに。
手を繋ぐ事で真田は歩くリズムを掴んだらしい。
わたしが無理をしない程度の速度で、力強く歩く。
わたしは真田が大好きで、真田の歩みのその力強いリズムがすごく心地良くて、帰りたくないと思ってしまった。
ふと気が付くと、わたしは立派な和風の一軒家の前に立ち尽くしていた。
雰囲気からして、ここは真田の家だと思う。
この家から真田が育ったという雰囲気がありありと感じられる。
わたしは一目見ただけで、この家が好きになった。
「ここは俺の家だ」
「うん、わかる」
「寄って行け」
「え・・・いいの?」
恐々と見上げてみると、真田は口元に笑みを浮かべて「無論だ」と言った。
手を引かれるがまま、わたしは真田の家に足を踏み入れた。
「全員留守にしている。そう緊張する事もない」
「そ、そうだね・・・」
真田のバカ!そんな事言われたら余計緊張してしまうよ!
緊張のあまり不安定な足取りのまま、真田の部屋まで案内された。
真田は片時も手を離さない。
片手で扉を開け、片手でわたしの肩を押して中に招きいれ、片手で扉を閉めた。
真田の部屋は、どんな部屋なんだろう。
興味津々だった。それなのに、部屋への興味は真田自身へと移される事となった。
扉を閉めた瞬間、繋がれていた手が強く引かれた。
かと思うと、正面から強く抱きすくめられ、わたしは身も心も身動きが取れなくなってしまう。
「・・・」
名前を、呼んでくれた・・・。
ただそれだけなのに、わたしは物凄く嬉しくてたまらなくなってしまって、少し泣いた。
真田は乱暴に自分の胸にわたしの顔を埋めさせると、わたしの頭に鼻先を埋める。
「お前に触れたくて仕方がなかった」
「・・・真田」
「無理にここまで連れて来た事、許してくれ」
やっぱりわたしは真田の事が好きで好きでたまらない。大好き!
顔を上げた瞬間、真田はハッキリとした意志を持ってわたしの唇にキスをした。
ゆっくりと触れて、ゆっくりと離れていく。
自意識過剰だと言われても良い。口に出さずとも、真田はわたしに「愛している」と伝えてくれた。
ゆっくりと真田の目が開く。
見詰め合ったら最後。真田に溺れるしかないんだ。
そう思った瞬間、真田の熱い舌がわたしの舌を攫って、二人の体がベッドに沈んだ。
「今度こそ邪魔はさせん」
真田は手早くわたしのネクタイとワンピースを剥ぎ取ると、シャツのボタンまでも外してしまった。
ブラを引き下げると、真田はわたしの胸に顔を埋めた。
「さ、真田・・・!」
「そうじゃないと言っただろう」
「・・・弦一郎・・・んっ」
「そうだ・・・」
わたしは、ついに真田と体が結ばれるんだと思うと嬉しくてたまらなかった。
幸せな気持ちでいっぱいだった。真田の体は暖かい。手も。舌も。それに表情も。
本当に幸せだった。
それなのに。
「いっ、痛い!」
「すまん・・・大丈夫か?」
「い、痛いよ・・・動かないで、お願い・・・」
「・・・そんな目で見るな」
・・・無理だった。
真田が入ってくる瞬間、わたしは崖から突き落とされたような気分になった。
体が痛くてじゃなくて、精神的に傷付いて。
折角真田と結ばれると思ったのに・・・どうしてわたしの体は、真田を受け入れられないんだろう。
絶対にあんなの入らない。痛すぎる!
わたしは真田の体を押し戻して、シャツとワンピースだけ着て、自分の荷物を抱え、扉へと向かった。
「帰るっ・・・」
「待たんか、」
「離して、お願いだから!」
真田は後ろから裸のまま抱き締めてきた。
格好悪すぎるよ、わたし!のこのこ付いてきて「やっぱり無理です、さようなら」って!
暴れるわたしを静めるように、真田はわたしの頭を、わたしの大好きな暖かくて大きなその手で撫でる。
落ち着く・・・。
わたしが大人しくなったのを見計らって、真田はわたしと正面から向き合うようにした。
「逃げるな、」
「・・・だって、わたし・・・かっこわる・・・うっ」
「泣くな。格好悪いのは俺の方だろう」
視線を上げると、真田は悔しそうな顔で俯いていた。
意味がわからない。真田はいつだって格好良いのに。
「お前が欲しくて夢中になってしまった。許してくれ」
わたしはバカだ。真田バカだ。
もし真田に無理矢理犯されていても、この言葉を投げかけられれば許してしまう自信がある。
思わず「嬉しい」と呟くと、真田はわたしの体を強く抱いた。
「今まで言わなかった事、不安に思っているだろう」
「・・・何?」
「俺はお前が好きだ」
わたしはなんて格好悪いんだろう。
真田がその言葉を言ってくれた途端、わたしの涙腺はだるだるに緩んでしまった。
次から次へと涙がこぼれ落ちていく。
真田は今まで見た事がないような優しい表情で、それを拭った。
「泣くような事は言ってないだろう」
「・・・だって、だって、嬉しくて・・・真田・・・」
「何度言えばわかる」
「・・・弦一郎、好き!」
甘えるようにギュッと抱きつくと、真田はよしよしといった感じで背中を撫でてくれた。
顔を上げた真田に真摯な眼差しで見つめられ、わたしは身動きが取れなくなってしまう。
「お前を俺だけのものとする為に、その、俺と、だな・・・」
「うん・・・」
「結婚を前提にだな」
わたしは思わずずっこけそうになってしまった。
だって普通わたし達の年なら「付き合おうか」で済むはずなのに・・・!
驚いているわたしに気付いて、真田の顔が気まずそうに歪んだ。
「驚かせてすまない。しかし俺は女に惚れるなど初めての事で、お前以外の女と婚約しようなどとは思えん」
・・・やっぱり真田はずるいと思う。いきなりそんな格好良くプロポーズするなんて。
わたしがまた泣きそうになっているのに気付いて、真田はわたしの唇に甘くキスを落とした。
「気持ちなど時が経てば変わると皆は言う。しかし俺はこの気持ちは変わらない気がするのだ。・・・俺が約束を破るような男に見えるか?」
「・・・見えない」
「だろう。きっとこれは永遠に続くものなのだ」
真田は満足そうに微笑んだ。
今この瞬間から、わたし達の関係は変わった。
それだけなのに、わたしは世界の色ががらりと変わってしまったような気分になった。全てのものが愛しく感じられる。
真田はフッと真面目な顔になって、わたしの顎を掬い上げた。
さっきの何倍も、何十倍も幸せな気分に包まれてわたしは真田の唇を感じた。
(20120214)