「蓮二。真田が動かないよ」


用があって弦一郎の教室に行ってみれば、授業中に具合が悪くなり保健室に行ったと教えられ、俺はとても驚いた。
弦一郎が風邪程度でくたばるなど・・・。
しかも、保健室に来てみれば、この有様。
呼びかけているというのに、弦一郎は俺達に背を向けたまま微塵も動かなかった。
精市は、弦一郎の体をつんつんと突付いている。


「・・・寝ているのか、弦一郎」
「いや、起きてるよ」


精市はそう言うと、無理矢理、弦一郎の肩を引っ張った。
弦一郎といえど、精市の力に勝てるはずもない。
こちらに顔を向けた弦一郎の目はぱっちりと開いていた。しかし異常に顔が赤い。
そして、何故か俺達と目を合わせようとしない。


「熱がありそうだな」
「・・・具合が悪いのだ。放っておいてくれ」
「ダメだよ」


また反対側に寝返りを打とうとする弦一郎を、精市は強く引っ張った。
弦一郎は本気で嫌そうな顔で精市を見つめている。


「真田。お前、風邪程度でそんなに具合が悪くなったの?」
「そうだ。だから放っておいてくれ」
「・・・弦一郎。お前は俺達に言いたくない事があるんじゃないのか」


ピンときて、そう言ってみれば、弦一郎の顔に後悔の色が差した。
それを精市が見逃すはずもない。
横になっている弦一郎と目の高さが合うように座り込むと、弦一郎の手を握った。
骨にヒビが入るのではないかと思うほどの強い力で握っているに違いない。


「何があったんだい?真田」
「・・・別に何もない」
「嘘だね。真田、さっきはフラフラするくらい具合が悪かったようだね」


今は職員室に行ってしまったが、先程までそこにいた養護教諭は確かにそう言っていた。
・・・精市。いい加減遠まわしに吐かせようとするのはやめたらどうだ。


「弦一郎。さっさと言ってしまったらどうだ。精市は、お前に付き添って来た女子の事を聞きたがっている」
「・・・む」


弦一郎は、養護教諭が漏らしたと気付いたのだろう。
恨めしそうな顔で、今はいない養護教諭の机を睨んでいる。
精市は楽しそうに「フフッ!」と高らかに笑うと、弦一郎の視線を遮るように立ち上がった。


「真田、その女の子って誰なの?」
「・・・それが何の関係があるというのだ」
「精市は好奇心で知りたがっている」
「その子に何かしたんだろう、真田」
「何だと・・・!」


弦一郎の顔が引き攣る。
これでは暗に、その子に対して何かした、と言っているようなものだ。
案の定、精市の顔はこれ以上ないという程楽しそうに輝いている。


「さっさと吐きなよ」
「・・・しかし」
「いい加減にしないと、柳生に誰なのかを聞いて、その子に何があったか直接聞くよ」
「やめてくれ・・・!」


弦一郎は観念したらしい。
しかもこの様子からすると、弦一郎はその女子に惚れているようだ。珍しい事もあるものだ。
楽しそうな精市の表情を見て、逃げられないとようやく気付いたのか、弦一郎は重い口を開く。


「・・・熱で頭がどうかしていたのだ」
「言い訳はいいよ」
「・・・俺が廊下で座り込んでしまったところを、引っ張って立たせてくれたんだが」


弦一郎は悔しそうな顔をしていた。
皇帝とまで呼ばれた男が風邪程度でフラついていたという事が、余程ショックだったらしい。


「その拍子に、そいつの体を壁に押し付けてしまった」
「抱きついたんじゃないの?」
「・・・そうかもしれん」
「ふぅ・・・ちゃんと覚えておいてくれなきゃ困るよ、真田。面白くないだろう?」


弦一郎は素直に「すまん」と眉を下げている。
理不尽さに気付いたらどうだ。しかしデータを取るために、俺は何も言わないでおいた。


「で?」
「そしたら、背中を優しく叩かれてだな・・・」
「ポンポン、って感じ?」
「そうだ。それが心地よくて・・・」


弦一郎はそこまで言うと、精市を見つめた。
もういいだろう、とでも言いたそうだな、弦一郎。そんなに中途半端な終わらせ方で、精市が満足する訳がないだろう。
弦一郎は諦めて再び口を開く。


「抱き締めてしまった」


そこまで言うと、弦一郎はがっくりと項垂れてしまった。
しかし、抱き締めたくらいで何故そこまで後悔する。
いや、弦一郎からすれば一大事なのかもしれないが。
精市も同じ事を考えたらしい。薄ら笑いを浮かべて、弦一郎ににじり寄る。


「それで?」
「もう話しただろう」
「まだ隠してる事があるだろう?当然キスくらいはしたんでしょ?俺なら我慢できずにそのまま押し倒すね!」


その言葉を聞いて、弦一郎は傷ついたような顔をした。
まさか、お前。言葉の通り本当に押し倒して何か如何わしい事をしたんじゃないだろうな。
訝しげな目で見ていると、弦一郎は本当に疲れた様子で再び口を開く。


「・・・そうだ。接吻をしてしまった」


今時、接吻だと。・・・まぁ、何も言わないでおいてやる。
精市は「接吻!」と言いながら笑い転げている。・・・落ち着け。


「・・・それで、唇を離した時のそいつの顔が、その」
「そそられたワケだね」
「幸村、そのような言い方は・・・」
「そうだったんだろ?いいから続けろよ」
「・・・それで、もう一度した」


弦一郎、意外とやるじゃないか。
俺は少し弦一郎を見直した。精市はといえば「ディープかい?」と楽しそうに問い詰めている。
いつも部員をいびる時の精市は楽しそうだったが、これ程までに楽しそうにしていた事はあっただろうか。いや、ない。
そして素直に「舌を入れた」と答える弦一郎は、精市に逆らえないにも程がある。


「それで?」
「下着を剥ごうとしたら拒否された」
「やるね、真田!それでそれで!」


お前、授業中だったんだろう?それも廊下で?
何をしているんだ、弦一郎。流石に少し呆れるぞ。


「最終的に下着をずらし、その・・・」
「何したんだい、真田。言いなよ」
「・・・どうしてもか」
「どうしてもだ!何をしたんだい!どこをどうしたんだい!」


精市は変態のように息を荒くしながら弦一郎の肩を掴む。
やめないか。お前のファンが見たらショックで倒れるぞ。


「・・・いや、やはり気が進まん・・・」
「そこまで言っておいて、なんだい!下着に指を突っ込んで中をぐちゃぐちゃに掻き回した事くらい言えるだろう!」
「いや、そこまではしていない。胸を、だな・・・」


弦一郎。誘導尋問されている事に、気付いたらどうだ。
それに精市。くどいようだがお前のファンが聞いたら泡を吹いて倒れるぞ。


「真田。ナヨナヨと男らしくないな・・・ばしっと言ってくれないか?腹が立ってきたよ」


精市の言い分は無理矢理だろうと思ったが、弦一郎のプライドは易々と刺激されたらしい。
いきなり布団を剥いで起き上がり、カッと目を見開く。


「それで俺は、」


その瞬間、カーテンがシャッと開いた。
そこには、驚いた顔をした女生徒の姿があった。
俺は直感で気付いた。恐らく、真田が手を出してしまった女子は、コイツだろう。


「あ、ごめんなさい・・・邪魔しちゃった」
「む・・・。大丈夫だ。大した話はしとらん」
「大事な話だったんだけどなー」
「やめないか、精市」


つまらなそうな顔をしている精市に、というらしい女生徒は本気で怯えている。
俺は笑みを浮かべた。


「お前が、弦一郎をここまで連れて来てくれたのか?」
「はい、そうですけど」
「! !」


弦一郎は相手がバレてしまった事を本気で悔しがっていた。
精市を見れば、胡散臭い爽やかな笑みを浮かべてににじり寄る。


「そうか、君か。真田をよろしく頼むね」
「あ、はい」


連れてきた女子は保健委員だったと養護教諭が言っていたから、は”真田が具合悪くなったらまた頼む”という意味にとったに違いない。
満面の笑みを浮かべてコクリと頷く。
それを見て精市も満足そうに頷くと、俺の腕を引っ張った。


「それじゃあ、ごゆっくりね」


精市は再び爽やかな笑みを浮かべると、保健室から退室し、扉をピシャリと閉めた。
これから面白くなるだろうに、精市が手を引くとは珍しい。
俺がそう言おうとすると、精市は振り向いて黒い微笑を浮かべた。















「真田、大丈夫?」
「お前のお陰でかなり良くなった。迷惑を掛けてすまなかった」
「ううん、迷惑だなんて。楽になったみたいで本当によかった!」


本音だった。本当に良かった。さっきの真田は少しおかしかったと思う。
真田はさっきとは違って顔色も正常に近いし、元気そうだ。


「さっきの人はテニス部の部長さん?」
「・・・」
「真田・・・?」


顔を覗き込んでみても、真田はわたしに目もくれなかった。
何かを考え込むように俯いて、眉を寄せている。
何か、あったんだろうか。


「・・・、先ほどの事を謝りたい」
「え?」
「本当にすまなかった。俺はどうかしていた」


真田は姿勢を正すと、丁寧にわたしに頭を下げた。
あの真田が頭を下げている・・・!それも、わたしなんかに!
わたしは本気で驚いて、慌てふためいてしまう。


「真田、頭上げて!困る!」
「しかし・・・」
「お願いだから。わたしは別に怒ってないし、嫌だったなんて思ってない!」
「・・・嫌ではなかったのか?」


・・・しまった。
何かドン引きされるような事を口走ってしまった気がする。
わたしはバツが悪いと思いながらも顔を上げた。
すると真田はひどく驚いたような表情で、わたしを見つめている。

沈黙が続いた。真田は真剣な面持ちで、答えを待っている。
答えられるわけがない、そんな事。再び俯く。


、顔を上げんか」
「・・・でも」
「さっさとしないとこうだ」


一瞬だった。真田はわたしの体を軽々と抱き上げると、さっきのように自分の膝の上に乗せた。
驚いて顔を上げると、真田は勝ち誇ったような、意地の悪い笑みを浮かべていた。


「さ、真田・・・!」
「ここは廊下ではないし、授業中でもない。俺は元気になった。お前も嫌ではないらしい」
「え?」
「あとは何もいらんと思わないか?」


真田は、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。
初めて見るその表情に驚くと同時に見とれてしまった。
その隙をついて、真田は布団の中にわたしを引き込み、わたしの上に覆い被さった。


「真田!ダメ!」
「・・・名前で、呼んでくれないか」
「え?」
と、呼んでもいいか」


その切なげな表情が綺麗で、わたしは身動きがとれなくなってしまった。
・・・自分の気持ちを疑ってた。でも今、明らかになったと思う。
わたしは、間違いなく真田の事が好き。
真田とこうしていられて、わたしは間違いなく幸せを感じていた。


「弦一郎・・・」
「・・・そうだ」


真田の唇が、わたしの唇に近付く。
抵抗なんて、もう出来なかった。しようとも思わない。
わたしは真田にされるならなんだって嬉しかった。
それがキスだなんて、素敵すぎるよ。

さっきは感じる余裕がなかった真田の唇。
優しく触れては、優しい舌がわたしの中に入ってくる。
こんな事思ってるなんてバレたらバカにされそうだけど、真田がわたしの全てを食べてくれる気がした。
大人しくしていると、真田はゆっくりと唇を離し、わたしの頭をゆっくりと撫でた。


「大人しくしていると、本当にお前は・・・」
「・・・何?」
「・・・可愛いと、思うぞ」


真田の唇が、わたしの首筋を辿っていく。
それが胸元に近付くにつれて、わたしの心臓は壊れそうなほど音を立てた。
一体、これからわたしはどうなってしまうんだろう。
真田は最後までしてしまうつもりなのだろうか。少しこわい・・・。

手に震えが伝わらないように、真田にぎゅっと抱きついた。
その瞬間、鎖骨の上に痛みが走る。


「いつっ・・・」
「俺のものだ、


ふと胸元に目を向けると、そこには赤い花が咲いていた。
それが真田によるものだと思うと、本当に嬉しくて嬉しくてたまらなくなってしまった。
思わず笑みがこぼれてしまう。わたしは胸元の花を指でなぞった。
その間にも真田はわたしの制服のボタンを器用にぷちぷちと外していく。


・・・」
「真田、」


もう我慢できない。想いを告げようと思った。
その瞬間、カーテンがシャッ!と音を立てて開いたので、わたしはひどく驚いた。



「真田、体の調子は、・・・あっ!」



柳生くん・・・!
一体なんて大事な時に来てくれたの!
呆然とするわたしと柳生くんに対し、真田は冷静だった。
布団を素早くわたしの胸元に掛けると、体を起こす。


「良くなった。心配を掛けてすまなかった」
「・・・真田。下世話だとは思いますが・・・」
「忠告は聞かん。お前は何も見なかったはずだ」
「・・・そうですね」


わたしは恥ずかしくて布団を被ったまま、そこから出られなくなってしまった。
柳生くんに、見られた・・・!
保健室でこんな事してるなんて、いやらしい子だと思われたに違いない・・・。
それなのに真田ときたら、どうしてああも堂々としていられるんだろう。


「・・・しかし幸村くんを恨まずにはいられません」
「幸村を?」
「ええ。彼が、真田の見舞いに行くようにと言いつけたのですから」


・・・わたし、その幸村くんっていう人が絶対覗いていたとしか思えない。
だってさっきのあの裏のありそうな笑みとか見てたら、真田をからかうためにやったとしか思えないよ!
真田はわたしをそっちのけにして、柳生くんと話を始めてしまった。
・・・なんか、色んな意味で、その幸村くんっていう人、恨む・・・。

しょんぼりしつつも、布団から鼻から上だけを出して二人を見つめていると、真田がふとこちらを向いた。
そして力強い足取りでこちらに来ると、耳元に唇を近付け囁いた。


「すまん、もう少し待ってくれ。俺も早くお前の相手をしたいと思っている」


・・・真田って、意外と甘い!
今で、心臓がこんなに壊れそうなほど脈打つんだ。
これから先、わたしは死んでしまうんじゃないかと思う。

真田が好きすぎて!






(20120214)