「おい。さっきからコロコロうるせぇ」
「えー・・・」
その反応、わたしが欲しかったのと違う。
不満げな表情で跡部を見つめてみるも、跡部はびくともしない。
ただただ真顔で、隣の席からわたしをじっと見つめている。
わたしは、自分の作戦負けを認めて、口の中のキャンディを更に音を立ててコロコロと転がした。
「授業中から食べてただろ」
「うん。バレてた?」
「甘い香りさせやがって」
あ!今更作戦が成功しそうな香りが・・・!
・・・ないか。わたしは小さくため息をつく。
因みに作戦っていうのは、跡部がキャンディの香りに気付いて「お前から甘い香りがする」とか言って顔を近づけて香りを嗅いできて・・・って、それだけなんだけど。
だって跡部って近寄ってくれたりとか、触ってくれたりとか、全然ないんだもん!
付き合ってもいない女に、そんな事するわけないけど・・・まぁ、跡部なら付き合っててもベタベタとかしなさそうだけどなぁ。
今更自分の思考が馬鹿丸出しだという事に気付いて、もう一度ため息をついた。
「ため息つくな。甘ったるい」
「いい香りでしょ?グレープなの」
「それくらい嗅げばわかる」
「・・・跡部、鼻いいね」
「お前の飴が強烈な香り放ってるんだよ」
跡部は忌々しそうにわたしを見ると、そのまま教科書を抱えてどこかへと行ってしまう。
どこ行くんだろう、と考えてみれば、そういえば次は移動教室だった。
わたしは急いで跡部と同じ教科書を抱えて、跡部を追いかけた。
「待って、跡部!」
「アーン?どうした」
「・・・一緒に、行こう」
わたしは勇気を出して、そう言った。
振り返った跡部の目が優しく歪んで、わたしは驚いた。
「あぁ。いいぜ」
「わぁ・・・!」
急いで走って、跡部の隣に並ぶ。
にしても、たかが教室移動するのに男女二人で、って絶対変な目で見られるよ・・・!
付き合ってもいないのに。でも幸せだから、いいや。跡部となら噂になりたい。
「さっさと歩け」
「待って待って、ゆっくり歩いて!」
「遅れるぞ」
「あー・・・そっか」
たくさんの時間を、跡部と一緒に歩きたかったのに。
落ち込むわたしを見て、跡部は小さく息を吐くと、わたしの頭を優しく撫でた。
「あ、跡部?」
「落ち込むな」
「え、えっと・・・?」
何に落ち込んでるのかは聞かないんだ。
驚いて跡部を見上げると、跡部は悪戯な笑みを口元に浮かべた。
「今日は部活が休みだ。家まで送って行ってやる」
「えっ!?」
「何だ、不満か?」
「滅相もない!あのー・・・いいの?」
「ああ。」
わぁ・・・!嬉しい!
跡部と一緒に帰るなんて、初めてだ。でも、送って行ってやる、って・・・どうして?
わたしが跡部とずっと一緒にいたいと思っている事に、気付いてるのかな。
つまり、わたしが跡部の事を好きだって・・・?
「ねぇ跡部・・・一体どこまで知ってるの?」
「何の事だ」
「・・・ううん。なんでもない」
跡部、絶対気付いてる。
だってあの含んだような笑み・・・。わたしは急に恥ずかしくなって、跡部の一歩後ろを歩いた。
・・・これから、どうしよう。
「おい、妙に大人しくないか」
「そう・・・?」
「お前らしくないな」
「うーん・・・」
跡部は一歩先を歩きながら、後ろからわたしが付いてきているかを確認するようにたまに振り返った。
わたしは、移動教室の時間からずっとブルーだ。
だって、跡部は、わたしが跡部の事好きだって気付いてるんでしょ?
なのに、何故何も言ってこないの!
からかってるの・・・?そんなの、悲しい・・・。
「歩きにくい」
「え?ひゃっ」
跡部はくるりと振り返って、わたしの手を握った。
そのまま、ぐい、と引っ張られて体勢が崩れる。
わたしはそのまま前につんのめって、跡部の胸に顔を打ちそうになった。
衝撃に備えてギュッと目を瞑ろうとした瞬間、跡部が少し前のめりに屈んだ。
その体勢じゃ、唇がぶつかってしまうよ!焦ったってもう遅い。
わたしと跡部は、唇を重ねてしまった。
目を瞑る余裕はなかった。眼前に、目を瞑った跡部の逞しい顔があった。
すぐに開いたその目は、獲物を狙うような鋭い目つきでわたしは少し怖くなった。
「あ、跡部っ・・・!」
「・・・お前、飴はどうした」
「え?え・・・?」
「どこに隠した」
「え?何・・・?きゃっ」
跡部はわたしの両腕を押さえつけて、近くの公園のフェンスに押し付けた。
「あ、跡部・・・?」
「少し黙れ」
「んっ」
跡部の顔が目を閉じながら、近付く。今度は強く目を瞑った。
唇が合わさって、すぐだった。
少し唇がずれたかと思うと、跡部の舌がわたしの口の中に入ってくる。
「んぅっ・・・んー!」
文句を言おうとしても、何も伝わらない。
跡部の舌は、わたしの舌に絡んだり、歯列をなぞったり、口の奥まで突っ込んだりと、忙しく這い回る。
いずれ、わたしは抵抗できなくなっていた。
力を入れようとすればするほど、体から力が抜けていってしまう。
まるで、跡部にパワーを吸い取られているような気分だ。
「んっ・・・はぁ、はぁ・・・」
「これくらいで息を切らすな。運動不足じゃねーのか?」
やっと唇を離したかと思えば、すぐに罵倒。
わたしは跡部の考えている事がよくわからなくて、小さく首を傾げてしまう。
傾げた拍子に、口から銀色の糸が伝っているのが見えた。
繋がっている先を見れば、跡部の唇。無性に恥ずかしくなって、わたしは下を向いた。
「ああ、拭ってやろーか?」
跡部はわたしの顎をすくい上げ、舌で器用に糸を切ると、わたしの唇に軽い口付けを落とした。
「ちょ、ちょっと、跡部・・・」
「なんだ?帰るぞ」
跡部はわたしの片手だけを解放して、そのまま歩き出した。
わたしも引っ張られるように歩き出す。跡部は振り返らない。
「・・・跡部の、えっち・・・」
言ってから自分で恥ずかしくなって、わたしは下を向きながら歩を進める。
「アーン?俺だって男だ」
「・・・充分すぎるほどわかってるよ・・・」
「そうか」
跡部は器用なのか、不器用なのか分からなくなってしまった。
一体、わたしをどうしたいんだろう。家に着くまで、わたし達は一言も会話を交わさなかった。多分、わたしの顔は終始真っ赤だったと思う。跡部の顔は赤くない。
「あ。着いたな」
「・・・送ってくれてありがとう」
「おう。じゃあな、また明日」
「・・・跡部!」
わたしの手を離して背中を向けた跡部を呼び止めた。
跡部は半分振り返る。
「何だ」
「・・・跡部、キャンディ欲しくて、したの・・・?」
「何をだ」
「・・・キス」
わかってるくせに。跡部は意地悪だ。
恐る恐る跡部の顔を見上げると、苦い顔をして少し俯いていた。
けれど、すぐにフッと笑って顔を上げた。
「口実に過ぎない」
「えっ・・・?」
「また明日、な」
跡部はさっきみたいに手を引っ張り、素早くわたしを引き込むと、また一つキスを落とした。
わたしの顔を一瞬も見ずに、跡部は行ってしまう。
・・・行かないで、って言いたかった。いや、言えば良かった。
今別れたばかりなのに、もう跡部に会いたい。跡部のせいで、わたしの想いは深まるばかりだ。
こんなに好きになってしまって、どうしたらいいんだろう。
少し悩んで、明日、跡部に想いを告げようと決めた。
跡部の事を想いながら、まるで遠足の前日のようにワクワクしているわたしは、今世界中で一番幸せなんじゃないかと思った。