帰り道にするには、少し遠回りな商店街。
でも、わたしはこの道が大好きだった。
今日も『あくたがわクリーニング』と書かれた看板の前を、ゆっくりと歩く。
中では、隣の席の芥川くんが店番をしていた。
毎日このお店の前を通っているけれど、芥川くんが外を見ている事は一度もなかった。
気付かれないのをいい事に、わたしは中にいる芥川くんを凝視した。
今日は携帯ゲーム機で遊んでいる。いっつもは寝てるか、漫画読んでるのに。
今日はちゃんと起きているけれど、今日も芥川くんを見て同じ事を思うんだ。
”今日はよく眠れそう!”って。
ぱたん、と数学の教科書を閉じた。
どんどん付いていけなくなっているような気がする・・・数字を見てると気が狂いそう。
小さくため息をついた途端、隣から気持ち良いほどの「ふぁー」という大きなあくびが聞こえた。
「ねー」
「え・・・?」
振り向いた先には、まだ焦点の合っていない目をしている起き抜けの芥川くん。
近くで起きてるの見たの、すっごい久しぶり・・・!
驚いて見てると、芥川くんは伸びをして、頭を掻いた。
「俺だって、いっつも寝てるわけじゃないCー」
「あ、別にそんな事思ってたわけじゃあ・・・」
「思ってたくせに」
「・・・ごめん」
隣からつんつんとわたしの腕をつつきながら、芥川くんは「やっぱり!」と笑う。
ぱっちりとした目で、芥川くんはわたしを見つめていた。
珍しいその表情から目が離せなくて、失礼だとわかりつつもまじまじと見てしまう。
そんなのお構いなしな様子で、芥川くんもわたしを見ていた。
「さんって、きれいな色のコート着てるよねー」
「そう?」
「うん。俺、あの色好き。なんかふわふわしてそう」
ベージュ掛かった白のコート。
今年買ったばかりのお気に入りだったから、褒めてもらえたのが嬉しくて、わたしは笑った。
今日の商店街を歩く足取りは軽い。
芥川くんと話せたのも嬉しかったし、コートを褒めてもらえたのも嬉しくて。
わたしはクリーニング屋さんの前を通りながら、笑みを隠せなかった。
あ、いけないいけない。そのまま通り過ぎちゃダメだ!わたしの楽しみがー・・・
と、お店の中に目を向けて、わたしは固まった。
中にいる芥川くんは、何故かばっちりとわたしを見ていた。
な、何故今日に限って!?
ニヤニヤしながら歩いてたの、絶対見られた・・・!
固まるわたしを余所に、芥川くんはニッと笑って大きく手を振った。
「さーん!」
どたどたとこっちに走ってくる。
固まっているわたしの腕をがっしりと掴み、芥川くんは屈託のない笑顔を浮かべていた。
「ね、上がっていきなよ!」
「で、でも・・・芥川くん、店番してるんじゃあ・・・?」
「じゃあさんも、みせばーん」
「えぇぇっ!?ダ、ダメだよ、そんなの!」
「えー。だってヒマすぎるCー・・・あ、じゃあ俺番して」
俺番・・・?何それ?芥川くんのお守り?
聞く間すら与えず、芥川くんはわたしの腕をぐいぐいと引っ張り、カウンターの中まで引っ張ってきてしまった。
丸椅子を勧められて、戸惑いながら座ると、芥川くんは何故か体をこっちに向けてニコニコ笑っている。
「な、何?」
「ううん、さんがこうしてここにいてくれるなんてさー。俺、今日店番しててよかった!」
「あ、芥川くんって・・・」
「ん?何?」
「・・・なんでもない」
芥川くんって、意外と女ったらし・・・!
ちらりと見上げると「顔赤いCー」とニヤニヤしながら頬をつつかれた。確信犯・・・!
「もうっ、やめてよー!」
「さんって可愛いよねー」
「もうやめて、やめて!恥ずかしい!」
「あはは、マジマジかわEー」
「おい、店の中でイチャつくな」
はっ!誰!
振り向くと、そこには芥川くんによく似た顔立ちの男の人が立っていた。
目が合って、わたしは固まった。
「・・・ッ!芥川くんの、クローン・・・」
「いや、俺の兄ちゃんだし。」
芥川くんの冷静なツッコミで目が覚める。
じーっと見ていると、お兄さんはバカを見るような目つきでこっちを見ていた。
「兄ちゃん。この子、さん。俺の隣の席なの、かわEだろー」
「ふーん・・・ジローが好きそうな顔してんな」
今度はお兄さんがこっちを見つめてきた。
芥川くんと同じ顔だから、なんだかドキドキする!
緊張しながら黙りこくっていると、お兄さんの口元がニヤリと笑った。
「もしかして、ジローの彼女?」
「ち!ちちち違いますっ!」
「はは、アンタみたいなのがジローの嫁さんに来てくれりゃあいいのに」
そんなの、芥川くんの方がお断りだよ!
慌てて取り繕おうと、芥川くんの方を見て、わたしは驚いた。
芥川くんの目が、据わっている・・・!
普段、そんな顔しないのに!そんなに嫌だったの!?
傷つく・・・俯いていると、芥川くんがぼそりと呟いた。
「兄ちゃん・・・なんで先言っちゃうわけ?」
「え?」
「もういい。さん、行こ」
「行くってどこへ・・・っちょ・・・・・・」
「俺の部屋」
「えぇっ!?」
店番は・・・!
芥川くんはエプロンをぽいっと放り出すと、ずかずかと階段を上がって行ってしまった。
わたしの腕を引っ張りながら。
「い、痛い痛い!芥川くんっ、」
「ねー、さんはさ、どんな男が好きなの?」
「え・・・?」
「俺、さん、超タイプなんだけど」
「え、えぇぇっ!?」
先から、驚いてばかりで何も言えない。
芥川くんの腕によって半ば無理矢理に押し込まれたその部屋は、まさに芥川くんの部屋っていう感じ。
たくさん散らばったゲーム、漫画、ひつじのぬいぐるみ、ポッキーの空き箱、寝心地の良さそうなベッド。
眺めていると、後ろから芥川くんがゆったりとした動作で抱き付いてきて、体がびくりと揺れた。
「やっぱり。さんのコート、ふわふわ」
「芥川くん・・・?」
「さんも、ふわふわだよね」
芥川くんは、わたしの頭をくしゃっと撫でて、耳元で笑った。
背中がぞくっとする。
「俺、好きだな。さんのこと」
え・・・?
今、こわくて振り向けない。ドキドキとうるさい心臓。
芥川くん、どんな顔してるの?からかってるの?
いつの間にか上がってきた芥川くんの手が、わたしの胸元をまさぐっていた。
「すっげードキドキしてる。ねぇ、何考えてるの?」
芥川くんの手は男の人の手だった。骨張った手が、コートのボタンを外していく。
片方の手でわたしの頭を捻って、芥川くんはどこかこわい笑みを浮かべていた。
「先から、ずっとベッド見てるけど・・・寝てみる?俺と一緒でいいなら」
「ち、違うの!芥川くんのベッドだから、寝心地良さそうで、あ、そうじゃなくて、だから、あの・・・」
「・・・ぷっ」
え?
吹き出した芥川くんは、わたしの体から手を離して、床にしゃがみこんで「くくくっ」と笑いを堪えていた。
そこで、やっと気付く。
「か、からかったのね・・・!」
「ご、ごめ・・・さんマジでこわがってっから、可愛くて・・・おかCー・・・!」
「ひ、ひど・・・!すっごいドキドキしたのに!」
もう一言は文句を言ってやろう!と芥川くんの腕を引っ張ろうとしたわたしの手。
骨張った手が、わたしの手首を掴んで、連れ去っていく。
気付いた時にはベッドの上。視界には天井と芥川くん。押し倒されている・・・?
目をぱちくりとさせるわたし。芥川くんは行為とは裏腹に、明るくニッと笑った。
「でも、好きまではマジだから!そのつもりでいてよ」
「え、え・・・?」
事態についていけない。
戸惑うばかりのわたしの頬に、あっけらかんと唇を落として芥川くんは優しく微笑んだ。
「俺と付き合おうよ、ね?大事にするから」
「う、うん・・・」
柔らかく髪を撫でる手つきに、普段は見れないその表情。
つられて頷いた途端、芥川くんはいつもの子供みたいな笑顔で「やっりー!」と叫んだ。
「あーあ、でもなんか早くなっちった。俺5月4日に告白する予定だったのに」
「5月4日・・・?」
どうしてまた、そんな中途半端な・・・?
芥川くんは、わたしの体をぎゅうっと抱き締めながら優しい声で話している。
「俺5月5日が誕生日なんだー。だから、誕生日プレゼント!」
「それって、自分から自分へのプレゼントになるんじゃあ・・・」
「そ!あ、だからさんには別のもらう」
「何がほしいの?」
枕?ポッキー?ゲーム・・・うーん、はたまた漫画。
考え込んでいると、芥川くんが耳元でぽつりと呟いた。
「さんがほしい」
「えっ・・・?」
「あー!これ以上くっついてると気、変になりそうだCー!」
ばっと離れた芥川くんは、服を正すと、振り向いてニカッと笑った。
「5月5日、楽しみにしてっからさ!」
ふわふわと、頭を撫でる芥川くん。
気持ちよくて、寝ちゃいそう・・・。
「あれー?さん、眠い?」
「んー・・・平気」
「寝てもいいよ。暗くなってきたらちゃんと起こすし、送ってくからさー」
「ごめ・・・じゃあ・・・ちょっとだ、け・・・」
すごく、瞼が重い。
どうも芥川くんを見ていると眠くなってしまって、ダメだ。
そんな芥川くんに頭を撫でられて、そんなの、起きていられな・・・い・・・
「ごめん、ちょっとだけつまみ食い・・・」
幸福の味がする、甘いお菓子を食べる夢を見た。
芥川くんと、二人で。
(20130506)