「好きになってしまったんだから、仕方ないよ」


あっけらかんと言ったわたしの頬を、相手の女の子が引っ叩いた。
その後も、たくさん文句を言われて、彼女は近くにあった机を蹴り飛ばして去って行った。わたしは一言も反論しなかった。というか、出来なかった。


ちゃーん、ちょっとみっともないんじゃなか」
「・・・やっぱり、そう思う?」


へたり込んで後ろを向くと、そこには机にしな垂れかかるようにして笑っている仁王がいた。
じんじんと痛む頬の原因はこの人で、でも悪いは仁王でも彼女でもなくて、勝手に仁王を、人のものを好きになったわたしだ。手を差し出してくれたから、きゅ、と握り締めた。仁王が手を握ってくれると、急に肩の力が抜けて、泣きそうになった。


「ありがとう」
「どういたしまして」


わたしを立たせて、仁王はにっこりと笑う。
笑顔を見せてくれるようになったのは、こうして近い関係になってからだけど、それも嘘の笑顔かなと疑いが晴れなかった。そのよくわからない笑顔を貼り付けたまま、仁王はわたしの頬をするりと撫でた。


「可哀想に。痛むか?」
「少し、じんじんする」
「いたいのいたいのとんでけー」
「子供じゃないのに」


痛みがとれるわけないけど、気が大分楽になったのは確かだった。
仁王は、いつからここにいたのかな。もしずっといたのだとしたら、わたしを助けてくれなかった―――そういう事になる。別に助けてほしいとも思わないけど、助けてくれなかったと思うとちょっと傷つく。
わたしは我侭だ。


「愚痴、聞いちゃろか」
「・・・アンタみたいなのを泥棒猫って言うんだよー、だって」
「はは、言えてるのう」
「反論できなかったよ」


仁王が彼女を捨てて、わたしを選んだのは気まぐれかな。気まぐれだろうな。
それでも別にいい。今は仁王の近くにいられれば。仁王はわたしの体をぎゅっと抱き締めた。すかさず背中に手を回す。仁王が好きだった。大好きだった。


「あの子、諦めてくれたかな・・・」
「さあな。だから、わざわざお前さんが行く事ない、って言うたんじゃ。無駄だったと思わんか」
「仁王を好きだって気持ちは伝わったと思う」
「あの子に伝えてどうする。余計反感買うだけじゃろ」
「ごもっともです・・・」


わたしは仁王の事を信用していなかったんだと思う。
こっちで方をつけるが揉めている、と言った仁王に、じゃあわたしが直接言う、と言ったのはわたしだ。仁王は必死で止めたけど、わたしはその行動を、もしかして二股する気なんじゃあ、としか思わなかった。
・・・なんだ、全然信用してないんじゃん。


「仁王、好き」


言葉にでもしないと、疑心暗鬼の気持ちで自分がドロドロと汚れていきそうだった。仁王の背中をぎゅ、と強く抱き締めた。


「ッ、」


瞬間、仁王が勢いよく体を離した。
何事かと驚いて見上げると、仁王は苦痛に歪んだような顔をしている。


「ど、どうしたの・・・?」
「なんでもなか。・・・帰ろ、
「でも、」
「なんでもないって言うとるじゃろ」


キッと少し強く睨みつけて、仁王はわたしに背を向けた。わたしはすぐに気付いた。白いシャツに線状に薄く血が滲んでいる。


「仁王!」
「なんじゃ。帰るぜよ」
「血が・・・!」
「えっ」


仁王は驚いて振り返って背中を隠す素振りをした。けど、すぐに俯いてバツが悪そうな顔で背中を隠した手を下ろした。


「・・・どうしたの、それ」
「・・・なんでもなか」
「なんでもなくないよ!見せて!」
「あっ、コラ!」


仁王が避けた瞬間、銀色の前髪がふわりと揺れた。
前髪の下、こめかみが真っ赤になっているのが見えた。仁王は気付いていないのか、背中を庇うのに必死で、わたしがおでこに手を伸ばしても、背中から手を離さなかった。
前髪をめくると、そこは真っ赤に腫れていた。


「・・・仁王、これ・・・」
「チッ・・・実はな、お前さんが行く前に、もう一度彼女と話したんじゃ」
「えっ・・・わたしが話すって言ったのに」
「アイツがお前さんの前で半狂乱になるってわかっとったから。だから・・・には手出さんでくれって言った」


仁王は決まり悪そうに俯いて「ごめん」と呟いた。
謝りたいのはこっちの方だよ・・・わたしが余計な事をしなければ、仁王はこんな目には遭わなかった。


「アイツ俺の前でも半狂乱になって、俺に殴りかかってきたんじゃが、それで気が済むならいいと思った」
「良くないよ・・・」
「そうじゃね。結局、に手出した。急いだんだが、でも間に合わんくて・・・俺、守ってやれんかっ、た」


声が掠れる。顔を上げると、仁王は目元を拭っていた。
泣いていたのかは、わからなかった。仁王がすぐ後ろを向いてしまったから。


「仁王、わたし大丈夫だよ」
「嘘吐け。ほっぺた真っ赤じゃよ」
「すぐ治るよ」
「・・・保健室で、冷やしてから帰ろ」
「平気だよ」
「俺が嫌なんじゃ。早う治して・・・」


鞄を持って、仁王はすぐに教室を出て行った。
わたしが慌てて追いかけると、ちらりと少しだけ振り向いてから、また数歩前を歩き出す。


「ねえ仁王」
「なんじゃ」
「わたし、仁王と一緒にいられるなら、これくらいどうって事ないからね」


仁王はぴたりと立ち止まると、足早に戻ってきて、わたしを抱き締めた。背中をぽんぽんと叩くと、ぼそりと耳元で何かを呟く。


「え、なに?」
「・・・俺が良くなか」
「何?へこんでるの?」


クスクスと笑いながら聞いてみると、仁王はこくりと頷いて、項垂れる。頭を撫でてあげると、腕の力は強まる。


「ほら、愛は障害がある方が燃えるって言うから。ね?」
「・・・は強いのう」
「わたしは仁王が案外繊細でびっくりした。可愛いんだね」
「・・・からかうんじゃなか」


顔を上げると、ふい、と目を逸らして、仁王は再び歩き出す。
小走りで追いついて横に並ぶと、仁王はわたしを見下ろして少しだけはにかんで「ありがとう」と呟いた。





(20110809)