「ちぇ・・・」
近くに転がっていた石ころを蹴り飛ばした。
蹴り飛ばした足が浴衣の裾に絡み、苛立ちが募る。
ブン太のヤツ、自分から誘っておいて一体どこに消えちゃったんだろう。
まったく、ブン太ときたらいっつもこうだよ。隣を見たらいつの間にかいない。こればっかり。
いい加減幼馴染と二人でお祭りなんてつまんない真似やめて、彼女でも作ればいいのに。
・・・わたしも人の事、言えないけど。
近くの屋台に目を向ければ、そこは金魚すくいの屋台。
いいなー、可愛い。わたしは昔から魚が好きだった。
うちにはペットがいないし、金魚くらいは飼ってもいいだろう。
よし、一回だけ・・・わたしは手の平を広げてみた。中には十円玉が二枚。
金魚すくいは一回三百円だった。・・・全然足りない。
わたしは屋台のそばにしゃがみこみながら、片手に持っている林檎飴をペロリと舐めた。
「迷子の迷子のブン太ちゃんー」
「随分可愛くない歌、歌っとるのう」
突然の背後からの声に驚いて振り向くと、そこには可笑しそうに笑っている仁王くんが立っていた。
甚平を綺麗に着崩している。開いた胸元が色っぽくて、見ていられないくらい。
思わず駆け寄ると、子供みたいに頭を撫でられた。
「仁王くん!何してるの?」
「こそ、何しとるんじゃ?丸井とデートか?」
「そんな大層なものじゃないよー。ブン太、どっか行っちゃったし」
「相変わらず仲良いのう」
本当は、ブン太とじゃなくて仁王くんと来たかった。
でも、きっと仁王くんは彼女と行くんだろうなーと思って、誘うのは遠慮した。
遠慮した、なんて偉そうに言うけど、本当は自分から誘えなかっただけ。
そこに彼女がいない寂しいブン太が現れたってだけ。
でも、仁王くんは見る限り一人だ。
辺りを見渡してみるけれど、連れはいない様子。
「仁王くん、一人?」
「そうじゃよ」
「ふぅん・・・」
今、彼女いないのかな・・・?
考え込んでいると、突然顔を覗き込まれた。驚いて体が仰け反る。
「今、寂しい男だーとか思ったじゃろ?」
「滅相もない!仁王くん、何してもサマになるし・・・」
「お世辞が上手いのう」
お世辞じゃないのにな。
仁王くんは一人でいても、このお祭り会場に馴染んでいた。
一人で浴衣を着込んでひたすら金魚を見つめているわたしは、全然馴染んでいないと思う。
わたしはもどかしさを感じながらも、仁王くんを見上げた。
「ところで」
「ん?」
「金魚、見とったのう」
「あ、うん・・・好きなの、金魚」
でもお金がないから出来ないの、とは言えない。
情けないし、まるで奢れとでも言ってるかのようだ。
わたしは思いを馳せながら尚も金魚を見つめ続けた。
「金魚すくい、やりたいんか?それとも、金魚が欲しいんか?」
「・・・金魚が欲しい」
「よし」
仁王くんは極自然にわたしの手を握り、金魚すくいの屋台の前まで連れて行った。
「何匹欲しい?」
「・・・二匹」
「わかった」
仁王くんは三百円払ってポイを受け取ると、甚平の左の袖を肩まで捲った。
そしてくるりと振り返る。
「どれがよか?」
「え、えっと・・・そこの、黒いの」
「欲張りじゃね」
大きな黒い金魚を指差したわたしを見つめて、仁王くんが笑う。
だって、可愛いんだもん・・・。
わたしは少し恥ずかしいと思いながら、小さい金魚が犇いているゾーンを指差した。
「それとね、そこの、赤くて、小さな子」
「・・・どれじゃ?」
そりゃあ、こんな事言ってもわからないだろう。あんなに何十匹も同じところに固まってるんだもん。
でもあの子だけは絶対欲しかった。一目惚れした。
わたしは水面ギリギリまで指を近づけた。
「あの、目がつぶらな子」
「ああ、コイツか」
仁王くんはこの一言ですぐわかったらしい。
わかったフリしただけじゃ・・・なんて思ったけど、言った後にすぐにその金魚を入れ物の中に放り込んでしまった。
「す、すごい!一瞬だった!」
「金魚すくいは得意なんじゃよ。あとコイツじゃったのう。ほいっと」
「わぁー!」
黒い金魚も一瞬で放り込むと、あとはいい、とポイと入れ物を屋台のおじさんに返す。
そして受け取った金魚を、わたしに渡してくれた。
「ほれ、大事にするんじゃよ」
「うん!うん!ありがとう、仁王くん!」
勢い余って仁王くんに抱きついてしまった。
抱きついた瞬間、ハッとしたけれど、気付かないふりをして控えめに抱きつく。
「ククッ・・・喜びすぎじゃ」
「で、でも!すごく嬉しいから!仁王くんにもらったと思うと余計、」
「余計?」
「・・・なんでもない」
仁王くんて意地悪だ。
もそもそと離れるわたしを見て、尚もおかしそうに笑っている仁王くん。
その後も仁王くんはわたしの手を引いてお祭りをまわって、たこ焼きとか焼きそばとか色々、半分にして食べさせてくれた。
割り勘にしたいけど、お金がない事を手の平を開いて言うと、更におかしそうに笑う。
「お前さんは、本当に面白いぜよ」
「もう、バカにしないでよー」
「バカになんかしとらん。可愛いな、と思っただけじゃ。ダメか?」
「・・・ダメじゃない」
「可愛か」
いつの間にか、人気のない境内まで来ていた。
優しい手つきで、わたしの頭を撫でる仁王くん。フッと細められた色素の薄い瞳を見て、ドキッとする。
えっ・・・これはひょっとして、ひょっとする・・・?
・・・ないか。仁王くんって綺麗な女の子しか相手にしなさそう。
自己完結して、買ってもらった綿飴をぶちぶちとちぎっていると、仁王くんが「ふぅ」とゆっくり息を吐いた。
「がおって良かった」
「え?」
「今日、一人で来たのはな・・・情けないが、笑うなよ」
「わ、笑うわけないよ!」
少し恥ずかしそうに俯く仁王くん。
なんだかいつもと雰囲気が違うし、色っぽいしで、見ていられなくて目を逸らした。
すると軽く手をぺち、と叩かれる。
「コラ。人が恥ずかしいながらも人の目見て話そうとしとるのに、お前さんは」
「あ、ごめん!」
その手で頬をすっと引き寄せて、仁王くんはフッと笑う。
綺麗な指に気を取られて、また仁王くんの顔は見ていなかったけれど、何も言われなかった。
「がおるかもしれん、と思ったからじゃ」
「えっ?」
「どうせ丸井とおるじゃろなーと思っとったけど、お前さん一人じゃったから正直ラッキーって思ってしもうた」
ラッキー・・・その真意は一体。やっぱり疑ってしまう。
疑り深く見上げると、仁王くんはスッと目を細めて笑った。
「二人きりでデートが出来る、と思ったんじゃ」
これが別の男の子に言われたのなら、結論はすぐに出るのに。
―――この人、わたしの事好きになってくれたんだ、って。
うまい事、結論が出ないのは仁王くんが詐欺師だからか、あまりに夢のような出来事で現実が直視出来ないからか。
確実に後者だと、結論はすぐに出た。
自分が思っていたよりずっと仁王くんに夢中になっている事に気付いて、頬が熱くなる。
「わからんか?・・・わかっとるくせに、意地悪じゃ」
「ど、どっちが、」
「俺は本当の事しか言うとらんし、意地悪しとるつもりもないぜよ?」
ゆっくりと顔が近付いてくる。
薄い唇に視線が釘付けだったけど、仁王くんはククッと喉を鳴らすように笑っただけだった。
すぐに顔をぷいっと離して、ぐーっと伸びをする。
「さーて、そろそろ帰るかのう。どうせ丸井の事じゃ、先に帰っとるじゃろ」
「ん・・・そうだね」
「手、繋いで帰ろうか、ちゃん」
そうやってうまく気を持たせて、はぐらかす。仁王くんっぽいよ。
いいよ、そっちの術中にまんまとハマってやる。どうせ勝てそうもないんだし。
告白の言葉をどれにしようか選びながら、背中に抱きつく為に、心の中で助走を付けた。
(20130802)