sweet nothings





「おや、さん」


ぴくん、と揺れた肩。驚いて目を見開いて見上げると、少しおかしそうに笑みを浮かべている柳生くんが立っていた。
わたしが慌ててぱたんと閉じた推理小説。柳生くんの手にも同じ推理小説。


「お揃いですね」
「はい!あの、柳生くんが持ってるの見たら面白そうに見えてしまって・・・」
「そうでしたか。中々面白いですよ、少々難解ではありますが」


しおり代わりに挟めておいたノートの切れ端の位置を確認して柳生くんは笑う。
わたしも同じように柳生くんが持っている小説のしおりの位置を確認した。
わたしの三倍は、すでに読み終わっている。


「あまりお好みじゃありませんでした?」
「そ、そんな事は!」
「お互い読み終わったら解釈でも語りましょうか」
「はい!」


こうしちゃいられない。
これは何が何でも頑張って全部読み終わらなければならない・・・早いとこ!
去っていく柳生くんの背中をしっかりと見送ってから、三度くらいは読まないとわからなさそうな小説を開いた。






「おめー何無理して読んでんの?」
「無理して、は余計だと思うよ。丸井くん」


見上げると、丸井くんがガムをくっちゃくちゃ言わせながら、片手にジャンプを持っていた。
・・・わたしも、あっちの方がいいなぁ。


「あ、それ柳生が持ってたヤツじゃね?借りたんかよ」
「ううん、同じの買ったの」
「何でわざわざ?どうせアイツすぐ読み終わっちまうから、待ってりゃ貸してくれたのに」
「・・・だって」


同じものを同じ時に読んでいたかったんだもん・・・。
なんて事を言えば、からかわれるのは必至。わたしは黙り込んでいた。
昨日から殆ど進んでいないページを、ゆっくりと捲る。


「うっわ、字ィちっさ。面白いのかよ、それ?」
「・・・おも、面白いよ」
「はい、どもった。嘘ー」
「・・・」


黙り込むわたしの横に、ジャンプを置き去りにして丸井は去って行った。
どうも貸してくれたらしい。・・・こっちに手を付けようか。こっそりとジャンプに手を伸ばした。


さん」
「ひゃぁっ、い!」


柳生くん!咄嗟にジャンプから手を離して、わざとらしくも小説を持ち直す。
きちんと小説読んでますよ、という体勢に戻ってから見上げると、きょとんとしていた柳生くんが笑い出した。


「どうしたんです?そんなに慌てて」
「い、いえ・・・別に」
「おや。それは丸井くんの・・・」
「うん、貸してくれたみたい。でもわたしこっち読むから」


ページの進み具合を目で確認して、柳生くんは微笑む。全然進んでないんだもんなぁ・・・。


「柳生くんは、もう読み終わっちゃったんでしょ?」
「ええ。さんはあと何年ほど掛かりますかね」
「う・・・」
「冗談です、責めたわけではありませんよ。私はいつまでも待っていますから」


柳生くんの笑顔を見てると、やっぱり頑張って早く読み終えて語り合いたい!っていう気持ちになるなぁ。
早く読もうか、やっぱり今は柳生くんの顔を見ていようか。
視線をおろおろとさせるわたしの前に、小説を一冊、スッと差し出された。


さん。そちらも良いのですが、一時中断して、先にこちらの小説を読んでみませんか?」
「・・・これは?」
「非常に読みやすい推理小説です。トリックは奇想天外で驚く事間違いなし」
「へぇ」


裏返してあらすじを読むと、本当に面白そう。
ベタな設定ではあるけれど、今すぐ開いて読み出したい気分にさせる。
まじまじと見つめるわたしに、柳生くんはフフッと笑う。


「貸し出し期限は無期限にしましょう。ゆっくり読んで下さい」
「あ、ありがと!柳生くん!」
「いいえ。読み終わったら・・・一緒に、」
「話してくれる?」
「え、ええ!勿論」


わーい!これなら近いうちに柳生くんとお話できそう!丸井くんのジャンプを脇に避けて、小説を開いた。


「あの、さん」
「はい?」
「これ、差し上げます。使って下さい」
「えっ!?」


柳生くんが差し出したのは、レースで編まれたすごく綺麗なしおりだった。
真っ白で、繊細で、光に当たるとレースの端っこがキラキラと光る。


「綺麗!こんなしおりあるんだ・・・」
「ええ、貴方に似合うと思ったので」
「あ、あの!」
「はい?」


レースが光るのと、柳生くんの眼鏡が光るのを交互に見る。少し戸惑った様子で、柳生くんは立ち止まっていた。


「本当に、もらっていいの?」
「勿論です。私は、貴方に使って頂きたいのです」
「ありがとう、柳生くん。すごく、嬉しい。大切にします」
「ええ。それでは」


ふわりと微笑んだかと思うと、柳生くんは子供を撫でるかのような手つきでわたしの頭を撫でて去って行った。
う、うわぁ・・・この気持ちはなんだろう!すっごい幸せ!柳生くんの事、大好きだよ、やっぱり。
貸してくれた小説の一ページ目に柳生くんがくれたしおりを挟み込んで、思わず笑った。








まさか、あの人が犯人で、あんな手を使ったなんて!もう物語は終盤だった。
あとエピローグを読んだら終わり。だって、本当に面白い!
まさか、こんなにのめり込んで、その日にうちに読み終わってしまうとは思わなかった。
エピローグも実に秀逸で、なるほどなるほど!と読み進め最後の一行に差し掛かった時、わたしは気付いた。

裏に、何か書いてある。

鉛筆の跡が見て取れた。
なんだろうと思いながらページを開いて、わたしは固まってしまった。


「や、柳生くんの字・・・本物・・・」


そこに書いていたのは、本当に驚いたんだけど、告白の言葉だった。
わたしへの・・・愛の告白の手紙だった。驚きとよくわからない不安で手が震える。
震える手で一生懸命小説を握り締めた。
宛名にあるわたしの名前。
柳生くんが書いてくれた字だと思うと、嬉しくて嬉しくて泣きそうになった。
その後に綴られるわたしへの想い。紳士的ながらも情熱が伝わる、わたしには書けそうにない本当に上手な文章。
読み終わって、”柳生比呂士”という字を眺める頃には、わたしはぽたぽたと机の上に涙を零していた。

一番下に、柳生くんの携帯電話の番号が書いてあった。
不思議な事に時間の事なんて全く気に掛からなかった。
慌てて震える手で携帯電話のボタンを押していた。


“はい、柳生ですが”
「や、柳生くん!」
“・・・さんですね?”
「や、やぎゅ、柳生くん、あの、夜分遅くに、ね・・・柳生くんっ、やぎゅ、」
“少し落ち着いて下さい”


電話越しに、低く笑う声が聞こえる。
普段聞いている声も、電話を通すと近いせいか、なんだか全然違うもののように思える。
ドキドキしながら携帯電話を握り締めた。


「柳生くん、あの・・・」
“最後まで、読まれたんですね”
「はい」
“・・・貴方を、愛しているんです”


どうしよう・・・本人の口から聞くと、ものすごく嬉しくて、夢みたいで、ドキドキして、わけがわからなくなる。
思わず嗚咽を漏らすと、柳生くんが「な、泣かないで下さい!」と焦る声が聞こえる。


「あの小説、もらっても、いい?」
“勿論ですよ。無期限、ですから”
「あのね、柳生くん・・・会いたい、です。今すぐ、会いたい」
“・・・”
「・・・ごめんなさい、やっぱりダメ、だよね・・・こんな夜遅く、」
“今日だけ”
「え?」
“今日だけですよ。今すぐ行きますから、必ず、お家の中で待っていて下さい”
「は、はい!」
“いい返事ですね。それでは、後ほど”


プツッと電話が切れた途端、口が裂けるんじゃないか!というくらいの笑みが零れる。
そばにあったカーディガンを羽織って、柳生くんの言い付けも聞かずに外に飛び出した。
本当にすぐにやって来た柳生くんに「あんなに言ったでしょう?」と険しい顔で突然口付けをされる事になるのだけれど、今のわたしはそんな事は露知らず。
ぱたぱたと無意味にスキップをして大好きな人が来るのを待つのだった。






(20101121)