romantic love ideology





「柳生。女という生き物は、案外簡単なものだぞ」


ほうら、なんて言いながら柳くんは箸に大きな肉を挟んでゆらゆらと揺らし始めます。
そしてそこに飛びつくのは、やはり丸井くん。


「・・・私は丸井くんが欲しいわけではありません」
「そんな事はわかっている。しかし似たようなものだ」


柳くんが高く上げた肉を食べようと、口をぱくぱくさせている丸井くんを見て思います。・・・私の愛しのさんは、こんな金魚のようでも、頭が悪そうでももないと思うのですが・・・。







さん」
「あっ、柳生くん」


あんな話をした後ですから、放課後、一人で帰宅しようとしている様子のさんを見掛けて声を掛けない筈がありません。
彼女は玄関のガラス扉にへばりつきながら、降りしきる雨をじっと見上げていました。
傘を、持っていないのでしょうか?これはラッキーな・・・いえいえ、彼女は困ってらっしゃるのですから。
私は彼女に近付き、顔を覗き込みました。


「入っていきませんか?」
「え・・・?いいの?」
「ええ。狭いと思いますが、それでも宜しければ」


本当は傘を忘れたと喚く丸井くんを入れて差し上げるつもりでしたが、それは桑原くんがどうにかするでしょう。
むさくるしい男と、自分の愛する女性・・・いえ、お困りの女性。選べと言われて後者を取るのは当然です。


「じゃあ・・・お言葉に甘えて!」

さんは「ありがとっ」と小さく呟くと、私の隣へと並びました。
見上げて微笑む彼女。無性に頭に手を伸ばしたくなりますが、私は真正面を向いて耐えました。


「さ、行きましょうか?レディ」
「や、やだな・・・恥ずかしいよ、柳生くんて」


濡れないように、でしょう。彼女はぴったりと私の体に寄り添いました。
柄にもなく緊張します・・・ドキドキとうるさい心臓の音を隠すように、態とらしいまでの咳払い。
・・・私は何をしているのでしょう。聞こえるはずもないのに。しかしそれほどまでに私の心臓は激しく波打っていました。


「濡れていませんか?」
「わたしは平気。柳生くんこそ、大きいからいっぱい濡れちゃいそう」


大きく見上げて悪戯に笑う、さん。「私も平気です」と微笑み返すと「良かった」と満面の笑みを見せて下さいます。
本当に、可愛らしい方です・・・自分のもの、にしてしまえたらどれだけ良いのでしょう。さんと二人きりの時間は、あっという間に終わってしまいます。
彼女とは駅で分れるはずです。


「・・・さん」
「はい?」
「ケーキは、お好きですか?」


昼間の柳くんとの会話を思い出し、私は思い切って口を開きました。
餌付け・・・まったく、その通りです。失礼極まりない。やはり撤回しようと視線を下げると、そこにはキラキラと瞳を輝かせているさんがおりました。


「す、好き・・・!」
「そ、そうでしたか・・・」


まるで自分がそう言われているようだと想像して、自分が恥ずかしくなり私は俯きました。さんは、そわそわとしながら次の言葉を待っているようでした。
・・・すみません。合意の下でという事で、甘えさせて頂きます。


「・・・喫茶店で、雨宿りでもいかがです?」
「喜んで!」


紳士としてあるまじき卑怯な手を使った気がします・・・。
誰にという事もないですが、私は心の中で「申し訳ありません」と謝罪の言葉を述べました。


「柳生くんは食べないの?」
「ええ、私は」


少し空腹だったので、私はケーキではなくサンドウィッチを注文していました。さんはモンブランを頬張りながら、私のサンドウィッチをじーっと見つめています。
口に一口運ぶたびに、彼女の視線は私の口元へと動きます。本当に微笑ましく、そして可愛らしい。


「・・・ふふ、召し上がります?」
「え!やだ、そんな・・・物欲しそうな顔してたかな?」
「ええ。少し」


彼女は頬をピンク色に染めて、俯きました。
私は食べかけではない方を皿に乗せたまま、彼女の方へと差し出しました。


「どうぞ」
「え!こんなたくさんいいよ!そっち、一口ほしいな」
「・・・しかし、私が口を付けてしまいましたが」
「わたしは構わないんだけど・・・あ、柳生くん、そういうの嫌な人?」


滅相もない!ぶんぶんと横に首を振ると、彼女はふわりと笑って身を乗り出しました。
私の手元から、かぷりと一口分のサンドウィッチを攫って、彼女はふふっと笑います。


「美味しい!あ、お行儀悪かったかな」
「い、いえ・・・そんな事は」
「ごちそうさま、柳生くん」


顔を覗き込まれて、楽しそうに微笑まれて・・・うろたえる代わりに、眼鏡をさっと上げました。
こんなに至近距離で彼女の笑顔を見たのは初めてで、私は言いようのない気持ちになりました。
さんは徐にケーキをさくっと大きめに切り分けると、わたしの目の前に差し出しました。


「柳生くんも、どう?」
「えっ・・・?」
「はい。あーん」
「・・・頂きます」


行儀が悪いのは私の表情の方だと思います・・・。
自分が今、どれだけだらしない顔をしているのか・・・想像するのが恐ろしいです。


「おいし?」
「とても・・・」
「良かった!」


今日のさんは、よく笑っていらっしゃる気がします。
その笑顔の代償に、そして餌付けをしようとしたこの罪悪の懺悔の代わりに、と代金は私が出したら彼女は物凄く申し訳なさそうな顔をしていました。


「ごめんね、柳生くん。傘に入れて貰ったあげくに、ご馳走にまで・・・」
「構いませんよ。私は楽しかったですし」
「わたしも!柳生くんと一緒にいれて、すごく楽しかった!」


外に出た時には、もう空は晴れていました。夕焼けがやけに綺麗です。
二人で見上げていると、さんが急に私のブレザーの裾をぎゅっと引っ張りました。


「どうかなさいましたか?」
「柳生くん、まだ帰りたくないな」
「・・・え?」
「そこ、寄ろう」


帰りたくない・・・私の空耳でしょうか。
呆然と立ち尽くす私の手首を半ば強引に、公園がある方向へと引っ張りながら、さんは少し泣きそうでした。


「ね、ダメ・・・かな?」
「いえ・・・構いません」
「良かった・・・」


さんは本当に色々な表情を持ってらっしゃって、飽きません。
安堵の笑顔は、至極色っぽいものでした。ベンチに座り、彼女ははぁっと息を漏らしました。
彼女の唇から白く吐き出される。
とんとん、と隣を叩いてにっこりと微笑む彼女の頬は赤く染まっていました。


「寒いでしょう?」
「・・・ううん、大丈夫」
「嘘、ですね」


彼女の手に触れてみると、驚くほど冷たくて少し困りました。
もう時間も遅いですし、これ以上遅くなるのもまずいかもしれません・・・。
そう思った途端、彼女は焦ったように私の手を握り返して来たので、私はひどく驚きました。


「だって!寒いって言ったら、柳生くんなら帰ろうって言うから・・・だから・・・」
「こんな場所で、そのような格好では風邪を引いてしまいます」
「・・・だよ、ね・・・」


本当に帰るのが嫌なのでしょう。
どういった事情があるのかはわかりませんが、彼女はひどく悲しげな表情をしていました。
私はバッグの中から自分のジャージを取り出し、彼女の肩にかけました。


「えっ・・・?」
「今日は使っていませんから。どうぞ」
「ありがとう、柳生くん。優しいね」
「そんな事、ありません・・・」


彼女の笑顔には気持ちが篭っている。そう思いました。貴方の喜ぶ顔が見たい。
マフラーを巻いていないさんの為に、自分のマフラーを外して彼女の首に巻いて差し上げました。

その瞬間。

彼女は突然、私の体に抱きつきました。


さん・・・!?」
「柳生くん・・・」
「どうしたんです」
「・・・なんでもないの。寒いだけ」


何でもないわけがありません。
わたしの背中をぎゅうっと掴む彼女の手は震えていました。
安心させるように髪を撫でると、彼女は今にも涙が零れ落ちそうな瞳で私を見つめ上げました。


「何か辛い事でも、」
「柳生くん・・・好き」
「・・・え?」
「好き、なの・・・」


語尾がどんどん小さくなっていく。
今のは・・・?事態を把握出来ず、ゆっくりと瞬きをする私の頬に、彼女は柔らかい唇を押し付けました。
驚いて頬を抑える私を見て、さんは悲しそうな顔をしました。


「ごめんなさい。嫌だったよね」
「そんな事は!さん・・・」
「ちょっと感情が昂ぶっちゃったみたい。ごめんね」


視線を下げて、さんは私から離れました。
痛いほどに鞄の取っ手を握るか弱い手に、雫が零れ落ちる。


さん?」
「・・・はい」
「泣かないで下さい」


軽く腕を引っ張っただけだというのに、彼女の軽い体は驚くほど簡単に私の腕の中へと引き寄せられました。震える体を、強く抱き締める。


「私も、貴方が好きです」
「えっ・・・?」
「・・・私も、さんの事が好きです」


しっかりと目を見て言おうと思ったのに、二度目に言う時には羞恥のあまり、私の目は明後日の方向を見ておりました。さんの揺れる瞳だけが視界の端に入っている。
それだけで私は暴走しそうになりました。抑えるように彼女の体を抱くと、震える腕で抱き返して下さいます。


「嬉しい、です・・・」
「私もです」
「・・・なんか恥ずかしいね」


腕から温もりが逃げていきます。さんは、私の体から離れると、照れくさそうに笑っていました。


「なんだか柳生くんの事好きだなぁって思ったら、止まらなくなっちゃって。今日、すごく楽しかったから・・・」


えへへ、と笑うさんが可愛らしくて、私は軽く腕を広げました。
またしてもだらしない表情を浮かべているのが自分でもわかります。


「おいで」


再び腕の中に収まり幸福そうな表情を浮かべているさんを見て、宝物が出来た、と思いました。
幸せです・・・心から、そう思います。






(20110206)