「蓮二くん、お願い」


わざと上目遣いで机の下から覗き込むと、蓮二は酷薄な笑みを浮かべた。
くん付けで呼ぶ時。わざとらしい上目遣いをする時。
大体、蓮二が頷きそうにないお願いをする時の癖だ。無意識に出てしまう。


「課題か」
「当たりー」
「自力でやれ」
「ばっ・・・終わらないよ、絶対!」


見て、この量!とばかりに問題集を蓮二の眼前に押し付けた。
邪魔そうに手で退けられてしまったけれど、尚もぐぐぐと押し付ける。


「先輩達、マジで仲良いっスよねー」
「仲良いっていうか・・・幼馴染だもん」
「いい加減、俺に甘えるのはやめたらどうだ」


・・・やめられないな、きっと。
わたしは、ただじっと蓮二を見つめた。























多分、わたし達は変だ。
変だとわかっているから、この習慣は蓮二とわたしだけの秘密だった。


「やっぱり家のは狭いよ、蓮二の家にしたらよかった」


蓮二の長い足が邪魔だった。ぱちん、と膝を叩くと蓮二が「文句を言うな」と眉を寄せる。
わたし達はこの年になって尚も”幼馴染だから”という理由だけで、たまに一緒にお風呂に入っていた。
多分、これっておかしいんだと思う。恋人同士でもないのに。

ぐるんと背中を向けて、蓮二の足の間にすっぽりと埋まってみる。


「今日は姉が帰って来ていてうるさいぞ」
「あ、お姉さん帰って来てるんだ!会いたいなぁ」
「やめておけ」


蓮二の顔が曇った。・・・お姉さんに会いたいのは本当。
でも蓮二がいる場では、会いたくない。わたしはふっと俯いた。
蓮二の家族も、わたしの家族も、わたし達が未だに一緒にお風呂に入っているのは知っていたし、当然わたし達は付き合っていて結婚するものと思っていた。

今までわたし達は否定せずに曖昧に笑ってごまかし続けていたけど、結局わたし達は恋人同士じゃない。

愛し合っていないんだ。


「・・・蓮二、好きな子いるの?」
「どうした、急に。初めてだな、お前がそんな事を聞くのは」
「別に。気になっただけ」


思い切り首を上に向けると、下から見た蓮二の目は少し開いていた。
見下ろすようにわたしを見つめる蓮二。切れ長の、綺麗な目。


「蓮二は綺麗だなぁ」
「あまり嬉しくない言葉だな」


可愛いよりはいいか、と蓮二は呟く。
わたしは蓮二と天井を見上げたまま、ぽつりと呟いた。


「わたしなんかとは、釣り合いそうにもない」


ぽつり。目から零れ落ちた雫が湯船をぽちゃんと揺らした。
蓮二ははっとした表情になって、わたしを見下ろしていた。
わたしは蓮二に泣いているのを悟られないように顔を俯かせたけれど、静かな浴室にぴちゃんぴちゃんとわたしの雫の音が響く。


「蓮二・・・好きな子、いるの?答えてよ」
「どうしたんだ、一体」
「わかんない・・・ごめん、ちょっと感情昂ぶっちゃったみたい」


もう上がろう。

涙で揺れていた水の表面をかき消すように、わたしは立ち上がろうとした。
すると急に蓮二が後ろから強く抱き締めてきた。耳元に触れる、薄い唇。




「いる」




ぽつり、なんてものじゃない。
目からだらだらとだらしなく流れる、わたしの涙。
これは、なんなんだろう。


「そ、うなんだ・・・」
、お前は、」
「わたしは別に、あ・・・さ、真田くんとか素敵だと思う、よ」
「どういうところが」


蓮二の腕に力が篭った。痛いくらいの力。
痛いよ、と呟いてみても蓮二が離してくれない事くらいわかってた。
わたしは俯いたまま、言葉を零した。


「武士みたいな言葉遣いが、好き。蓮二に、少し似てるよね」


あ、余計な事言った、と思った。
けれど蓮二は「弦一郎が好きなのか」とぽつりと呟いただけ。


「別に真田くんだけじゃないよ、仁王くんとか、」
「どこが」
「・・・計算高いところが、好き」
「お前は柳生も素敵だと言う」
「あのねちっこいお説教が嬉しかったりするんだよね、なんか、」


「俺を思い出すから?」


ずるいよ、蓮二は。

言葉にならなくて、息が詰まった「っ」という声にならない声だけが響く。
蓮二はぎゅうっと腕に力を込めた。胸板が温かい。蓮二の音が、どくんどくんと伝わる。



「俺は、お前が好きだ」



それ、本当?だとか。何か企んでるの?だとか。わたしは、本気で蓮二の事が好きなのに。からかってるんだったら、怒るよ?

・・・だとか。

軽口が出てこない。一つの言葉も発せない。
ぱたぱたと落ちる涙を長い指で拭って、蓮二は体を密着させるように強くわたしを抱いた。


「泣く必要はないはずだが」
「れん、じ・・・」
「返事は?」
「はい、はいっ・・・」
「それではわからない」


・・・キスって、なんて素敵な事なんだろう、と思った。
顎を引き寄せられて、蓮二はわたしの唇を塞いだ。
それだけで、蓮二のすべてが伝わってきた気がして、ぼろぼろと涙が零れる。


「明日、目が腫れるだろうな」
「不細工だとか言ったら殴るんだから・・・」
「俺はお前のどんな顔でも可愛いと思っている、お前が愛しいと思っている」


嬉しそうに笑う蓮二に、昔の面影を重ねた。
こんなに男っぽくなっても、蓮二は蓮二で、わたしが小さい頃から大好きな蓮二で、


「もうわかんないくらい蓮二が好きだよ・・・」
「俺も言葉では足りないんだが、」


それなら、すべて攫ってよ。

やっぱり蓮二だ。わたしが何か言う前に、熱っぽい口付けをされた。
それが合図だってわかってる。目を閉じると、蓮二が「それでいい」と笑う声が聞こえた。

身も心も攫われている中で、蓮二以外は何も聞こえない。
まるで世界に二人だけみたいだった。





(20180103)